アズールレーン5周年記念

アズールレーン✕能代 比羅夫 大吟醸

  • 喜久水酒造「アズールレーン×能代 比羅夫 大吟醸」

  • 米どころ秋田は「酒のくに」としても有名だ。秋田の風土、特に米代川や雄物川の清冽な水と風土が育んだ米から作られる酒は、なかなか県外にまで流通せず、地元の酒好きに隠されているかのようだ。そんな秋田県の北部を流れる米代川は、河口付近で能代川に名前を変える。軽巡「能代」の由来にもなったこの能代の地にある喜久水酒造は、知る人ぞ知るユニークな酒蔵なのである。
定期的に醸造所や貯蔵倉庫の見学会も開催しているとのことで、六代目喜三郎氏の息子さんで製造責任者の平澤喜一郎さんの説明はとても楽しく、分かりやすかった。
秋田県 喜久水酒造
インタビュアー:小田島愛

平澤氏「まずは『アズールレーン』のコラボレーションに当社の日本酒にお声がけいただき、ありがとうございます!」 
柔和な雰囲気ながらも、前のめりになってお話を進めるのは製造責任者を務める平澤喜一郎さん。

―――アズールレーンをご存じとのことでしたが、コラボレーションについての最初の印象はどうでしたか?

平澤氏「キタ━(゚∀゚)━! と言うのが本音でした。アズールレーンのことは初期の頃から知っていて、能代のPRにお酒が使えたら……と考えたこともあったのですが、実際にお声がけいただき、ただただうれしいばかりです」

―――こちらこそありがとうございます(笑)。まず喜久水酒造の歴史をお聞かせ願えますか?

平澤氏「江戸時代に麹屋を営んでいましたが、酒蔵の歴史も江戸末期に遡るようです。実は戦後の二度の能代大火で建物が全焼してしまい、文献記録や帳面などすべて消失していまして、詳しいことがわからないのです。」

多くの酒蔵が廃業に追い込まれた昭和18年の企業整理で一旦は廃業するも、戦後に平澤酒造店として復活し、昭和31年に現在の喜久水酒造合資会社に組織替えをしたとのこと。

いきなり試飲コーナーがお出迎え。「能代」を中心に、秋田にちなむ含蓄のある銘柄が揃う。

―――喜久水酒造の日本酒には、どのような特徴があるのでしょう?

平澤氏「数百年にわたって積み重ねられてきた日本酒の製造技術ですが、ここ数年の進歩は特に目覚ましく、今や日本全国が酒どころ、どこの酒を呑んでも旨い。いろいろと刺激をもらいながら、自分らしい酒・理想とする味に進化を続けています。米の旨みと甘みを大切にしているので五味の調和のとれたやや甘口の傾向になってます」

喜久水酒造をご存じの方はかなりの日本酒通のはず。なぜならここから出荷する酒の九割が秋田県内で消費されてしまうからだ。「酒のくに」秋田でこれほど愛されている日本酒を、バイヤーが放っておくはずがないのだが……。

平澤さん「秋田の次に多い出荷先は東京と北海道です。全国から多くの引き合いがあったのですが、現代表の喜三郎があまり販路を広げたくない方針だったので、県内流通がメインになっています。」

―――喜久水酒蔵さんを検索すると「トンネル地下貯蔵庫」という言葉が一緒に出てきます。

平澤氏「会社から少し離れた場所なのですが、旧国鉄時代に作られたトンネルを当社が買い取りまして、日本酒の貯蔵倉庫にしているんです」

旧国鉄の廃トンネルを貯蔵庫として購入。日本酒の長期低温熟成の成果を実証する場でもあるので「地下貯蔵研究所」とも呼ばれている。

―――なぜトンネルを倉庫にされたんですか?

平澤氏「現代表の喜三郎がドイツでワインの倉庫を視察した時に思いついたそうです。ワインが長期低温熟成で美味しくなるなら、同じ醸造酒の日本酒も美味しくなるに違いないと。一升瓶10本を買い、一年ごとに味の変化を自分の舌で確かめようとしたところ、あまりに旨くて三年目で全部呑んでしまった。これでトンネルの入手を決めたのです」

長年の経験と、他国の酒のアイデアが結びついた、イノベーションの瞬間だ。

平澤氏「トンネル内は一年中自然に摂氏11度が維持される地球に優しい冷蔵庫です。日本酒の劣化の最大要因である光と温度の問題が一気に解決するので、低温熟成には理想的でした。このトンネルこそが喜久水の最大の特徴で、ほぼ劣化のないお酒をお客様へお届けすることが出来ます。さらに年を追うごとに、とろっとまろやかな味わいに変化していきます」

喜久水酒造では本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒など、すべての特定名称酒をトンネル貯蔵庫で熟成している。明治時代のレンガ造りの技術遺産としても貴重な建築史料なので、国の登録有形文化財にも登録された。

長さ100メートルほどのトンネルには6万本の日本酒を貯蔵できる。真夏日の初夏なのに気温は12度、寒いくらいであった。
作業所の一部に飾られている女性画は、喜久水酒造の銘酒を女性に例えて擬人化したもの。明らかに時代が早い喜三郎代表の発想に、アズールレーンのスタッフも呻らされる。

―――現代表の平澤喜三郎さんのお話がいろいろな場面で出てきます。どのような方なのでしょうか?

平澤氏「自分の父のことを言うのも気が引けますが、すごく……変わり者です。六代目となる父の喜三郎は山口県出身で、婿入りして当社を継いだんです」

山口から秋田。日本縦断の旅路だ。

平澤氏「当社の代表は代々〈喜三郎〉を襲名するので、苗字も名前も変わっちゃったかわいそうな人? となるのでしょうか」

言葉も文化も全く違う土地になじめず、最初は大変苦労した現代表の平澤喜三郎氏だが、持ち前の反骨心を発揮して、酒造りはもちろん、酒蔵業界にはなかった新しいアイデアをどんどん盛り込んで、酒蔵経営者として全国に知られる存在になったとのこと。

平澤氏「トンネル貯蔵庫は全国から同業者の視察も多く、見学会なども好評で、今では当社のシンボルになっています」

―――お父様の喜三郎さんに負けず、喜一郎さんも相当ユニークな方と伺っています。

ちょうど退室される社員さんがインタビュアーにそう耳打ちした。

平澤氏「まぁ、珍しいと言えば、夫婦で酒造りをしていることでしょうか」

ちょっと照れたように話し出す平澤さん。経理や総務はともかく、酒蔵の女将が酒造りに関わるのは珍しいのではないか。

平澤直子さん「日々、酒蔵を見ているうちに私の職人魂に火が付いてしまいました。もともとものづくりが大好きだったので。いつも旦那のそばに居たかったわけじゃないんだからね!」

喜久水酒造の日本酒は、平澤さんご夫妻にとっては子ども同然のかけがえのないもの。麹菌が米から作り出した糖分を、酵母が食べてアルコールを作り、最後に日本酒になる。そんな営みを見守り、手助けするのが酒造りの面白さだという。

平澤氏「瓶詰めしたお酒をトンネルで熟成させると、日本酒の味は穏やかに変化します。よくお酒を評価するのに〈重厚さ〉や〈華やかさ〉などの項目とレーダーチャートを使ったりしますが、熟成させたお酒はすべての項目が年数に応じて変化します。だから美味しくなるという評価を超えて、複雑でまろやかな、豊かな味に変化するのです」

終始笑顔で、喜久水酒造の歴史や、酒造りの秘話が止まらない平澤さん。
建屋の前で平澤さんご夫婦を撮影。知る人ぞ知る秋田能代の銘酒を二人三脚で守り続けている。

―――喜久水のお酒の魅力をたくさん伺いました。今回の「アズールレーン」とのコラボレーションにあたり、指揮官の皆さんに一言いただけますか。

平澤氏「昔から、信頼できる上司や友人からの紹介が、日本酒を好きになる大きなきっかけの一つと言われています。ですがコロナの影響やライフスタイルの変化もあって、そういうきっかけは減ってしまいました。今回のコラボレーションでは、〈能代〉という、指揮官さんから信頼されている人気の大切なキャラクターから当社のお酒をご紹介していただけること、本当に感謝しています。当然、お酒も〈能代〉の名に恥じない自信作を用意させていただきました。これをきっかけに、アズールレーンの世界のように、日本酒の世界も大きく広がり、それぞれの銘柄にそれぞれの魅力があるということを知っていただければと願っています」