新澤醸造店「アズールレーン×愛宕の松 純米大吟醸」
- 宮城県大崎市に本店を構える新澤醸造店。今から約150年昔の明治6年創業とのことで、老舗の酒蔵という先入観を抱きつつお伺いしたところ、初手からその印象が覆される。宮城と山形を繋ぐ古来の街道、笹谷峠に臨む山間に忽然と表れる近代的な醸造所が、宮城でも屈指の歴史を持つ酒蔵のイメージと合致しなかったのだ。
―――明治からの酒造というお話だったので、正直、イメージと違って驚きました。
新澤氏「伝統の酒造っていう雰囲気はないですよね」
新澤社長のにこやかな笑顔からは想像できない、重い出来事が語られる。
新澤氏「東日本大震災で、弊社の設備は壊滅したんです。酒蔵が3棟と自宅建物、すべて全壊判定の被害を受けてしまったのです」
東京農大で醸造を学び、実家に戻って酒造りに関わるようになってから10年余り、ご自身が手がける新ブランドの日本酒も軌道に乗って、これからという矢先の災害であった。
新澤氏「新澤醸造所の歴史と設備は、地震で完全になくなってしまいました。ですが、幸いなことに〈人〉が残っていたので、絶対に立て直してみせると、一丸となって復興に取り組みました。その折、売りに出されて酒蔵があったので敷地ごと買い取りし、年内に再起の目処を付けることができました。それがこの醸造所なんです」
――以前の酒蔵の場所で再興しなかったのはなぜなんでしょう?
新澤氏「歴史ある酒蔵であっても、大震災で倒壊したと言うことは、またいつか同じような地震に見舞われる可能性が無視できません。それなら酒造りの場は、自然災害に左右されない安全な場所に移すべきだろうと。幸い、この新しい醸造所は、もともと酒蔵の敷地ですし、上質な水にも恵まれています」
歴史ある酒蔵を失う打撃から立ち直るのは容易ではない。そう考えてしまうところだが、新澤氏は違う発想で再起に挑んでいる。
新澤氏「古い酒蔵は、どこでもそうですが、維持費に莫大な経費がかかります。それは酒蔵にとっては
不可欠である一方、変化させないという目的、維持する目的だけで資金が消えていくのに疑問を感じていました」
――この醸造所は機械や建物がどこも新しい印象を受けました。
新澤氏「蔵の維持費になっていた資金を、ここでは最新の酒造りの設備や研究に投資しています。同時に〈人〉という資産にも注意を払っています」
震災の直後から、従業員一同が見せた「強さ」を復興の足がかりとした新澤醸造店。新澤社長がその日々の中で実感したのは、「じっとしていても明日は変わらない」という思いであった。以前にも増して全国区の醸造所に成長した今でも、新しいものを求め、変化するという気持ちは変わらないという。
――新澤醸造店のお酒の特徴をおしえていただけますか?
新澤氏「まず『あたごのまつ(愛宕の松)』は、明治の創業当時からの伝統を守っている、新澤の看板と呼べる日本酒です」
――創業当時からのお酒ですか?
新澤氏「今から約100年前の大正14年、当時、摂政宮であった昭和天皇に、二代目の新澤順吉が「大崎耕土」という宮城独特の水田耕作の取り組みについてお話しをする機会を賜りました。その時の誉れを酒に残そうと、愛宕山に根を張る松の強さに託して主銘柄にしたのです」
――伝統の日本酒を、現代の技術と管理方法でさらに磨きを掛けているということなんですね。
新澤氏「そのとおりです。現代において生産管理と温度調整ができるようになり、日本酒は大きく変わりました。昔は古くなったお酒でもいかに美味しく飲めるかという工夫を考えねばなりませんでしたが、今は最高の状態を維持し、劣化を最小限に抑える努力をすれば、どの酒蔵も最高の品質の日本酒をお客様に届けられるようなインフラが整っています。弊社は仕込みからお客様の口に入るまで、常に最高の状態を維持する酒造りと環境の維持に取り組んでいます。」
SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みは、企業活動の質を図る重要な尺度として注目されている。新澤醸造店でもSDGsの意識を会社の入り口から出口まで徹底することで、従業員の酒造りの意識改革にもつなげているのだ。
――新しい取り組みについても伺えますか?
新澤氏「私が杜氏になって手がけたのが『伯楽星』です。日本酒には興味があるけど、飲み方が分からない。そんな声を耳にしますが、『伯楽星』は食中酒、つまり食事をしながら楽しむのに最高の日本酒を目指しています」
――「食中酒」とは聞き慣れない言葉ですが、具体的にはどういうことなんでしょう?
新澤氏「『あたごのまつ』をはじめ、いわゆる伝統の日本酒より糖度をぐっと抑えています。食事を引き立て、楽しさを倍増させるようなお酒です」
東日本大震災を機に、五代目社長に就任した新澤氏だが、同社の柱ともなる酒を育て上げるや、杜氏の仕事を後進に譲ってしまう。
新澤氏「2018年ですが、蔵本杜氏の職を社員に譲りました。当時は、日本最年少の女性杜氏として話題になりましたね」
新澤醸造店の事業拡大と同時に、新社長として蔵を空けることが多くなってしまい、製造責任者の後継者を探していた。その中で、醸造部で最年少のスタッフが抜擢されたのである。
新澤氏「今では醸造の現場に女性は珍しくないですし、女性杜氏も多数活躍しています。うちの渡部(渡部七海氏)は、大学の醸造で学んだ最新の知識を仕事に活かせる専門性と柔軟さ、そして「利き酒」に関する天賦の才がありました。職能が保障されているのに年齢にこだわる理由なんかありません。実際、彼女が杜氏になって責任仕込みをした最初の年に、ブリュッセル国際コンクールの日本酒本醸造酒部門で「あたごのまつ 鮮烈辛口」が最優秀賞を受賞しています」
――醸造所を見学させていただきましたが、若いスタッフが多く、活気がある印象でした。
新澤氏「日本酒の軸は守りながらも、新しい発想やアイデアはどんどん採り入れて、変化し続けたい。それが弊社のモットーなんです」
――新型コロナには、皆さん、どのように立ち向かわれたのですか?
新澤氏「コロナでの出荷不調はどうにもなりません。ですので、弊社ではスタッフのモチベーションを維持するため、賞レースに焦点を合わせた酒造りに注力しました」
賞レースと、流通させるお酒は、狙いや作り方も変わってくる。そうした変化に自在に対応できる柔軟性を磨き、新しい「強さ」を身につけていったのだ。名伯楽、新澤社長の手綱に応え、スタッフもどんどん強くなっていく。
――最後に、「アズールレーン」のコラボレーションについて、一言お願いします。
新澤氏「今回は〈愛宕〉繋がりで弊社にお声がけいただき、まずは感謝いたします。「アズールレーン」を遊んでいるという弊社スタッフの熱意を見て、コラボレーションを即断しました。このコラボを通じて、変化の早いアプリゲームの世界から、我々も新しいものを学んでいきたいと思っています。5周年がスタートですが、周年を重ねる毎に、私たちも新しいお酒を皆さんに提案できるよう研鑽して参りますので、ぜひ〈愛宕〉とともに新澤醸造店のお酒に親しんでいただけたらと思います」